シロアリ駆除・ゴキブリ・ネズミ・ハチ・ハエ・ムカデ・イタチ・鳩・カラス・コウモリ等の駆除・防除を行っております。お見積りは無料です。

宗武館空手道場ブログ
玄制という琉名の意味
“玄”とは微妙で深遠な理を表し、“制”とは制度、形作る等の意味があり、「玄制」とは奥深い真理を求め、それを得て形に するということである。
玄制流空手道の基本原理
国家間の戦争であろうが、単なる喧嘩であろうが、勝つために有効な方法は常に相手の意表をつくことであり、解り易く言えば、玄制流の基本原理はこの一点を徹底的に追及したところにある。それをどうやって型の中に表現するか、そしてそれらの技を如何にして実用化するかという研究の末、祝嶺正献がたどりつき創作した技法原理が、施・運・変・捻・転ということであった。施とは体軸の縦方向の施回運動であり、運とは前後上下への昇降運動である。また変とは前後左右へ自ら倒れる運動であり、捻とは主として、その場における体の捻転による手技・肘技の使い方をいう。そして転とは体の前転・後転・横転により相手の予測外に変化した状態での技法でる。これら玄制流の技法を集約した代表的な型として広く知られているのが三才の型である。
●全日本空手道連盟 福岡県空手道 連盟所属
●指導責任者:
向井慎矢 公認4段 会派5段 日本体育協会空手道競技上級指導員
宗像市体育協会理事 宗像市空手道連盟理事
●指導員:
徳弘哲二 公認三段
吉村賢二 公認三段
●宗像道場:
火曜日 19:00〜22:00 宗像地域交流館(メイトム)
水曜日 19:30〜21:30 日の里中学校
木曜日 19:30〜21:30 日の里西小学校(強化練習)
土曜日 17:00〜19:30 日の里西小学校
●壱岐道場:
月曜日 19:30〜22:00 壱岐中学校
金曜日 19:30〜22:00 壱岐中学校
●年2回昇級、昇段審査会 年間5回ほど地区、県大会などに参加
●年会費 3,000円・月会費 3,000円

SOUBUKAN KARATE BLOG.宗武館空手道場ブログ

新しい年に

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

新しい年を迎え、ひと月が経ちました。私が子供達と稽古をするようになって、早二十年が経とうとしています。今回は、空手道との出会いと軌跡を書いてみたいと思います。多分、長文になるので読まれる方は楽しんでください。自分自身が空手道に目覚めたのは、大学生の頃でした。もう、25年が過ぎて行きました。初めて空手と接したのは小学生の5年生の時、担任の木村先生が福岡教育大の空手道部出身で初めて空手に触れました。それから4年後、中学生の頃に東京の練馬区で稽古のような事を始めました。家には父が空手をしていたので、巻き藁がありその稽古を中学に入ってからしていました。教室などは行っていませんでした。受けて突く、受けて突く、の繰り返しを続けました。中学の頃は、校内暴力やら家庭内暴力が流行っていて、学校では強い者が征服するような感じで、いつもよその学校とけんかして回るような學校だった事を思い出します。中学、高校とバレーボールに励み、空手道とは縁のない人生でしたが、転校をしたお蔭でバレーボールとは離れてしまいました。チームスポーツなので、途中からチームに馴染むのは難しかったからだと思います。この頃から、荒れた自分を正してくれたのは空手道だったのかな?と思ったりもします。大会の出場は、福岡地区大会でした。高校生の部で、東福岡の同級生だった松元選手に完膚無きまでにやられました。何をしたのかは思い出せません。名前だけは覚えています。その後、福岡の輝峰会にお世話になり、その後、東海大学の空手道部に入る訳ですが、当時は二年間、福岡校舎で教養課程を済まして湘南校舎へ行く、都落ちコースというものがあり、そこで空手道部に入りました。和道流 渡先生との出会いがありました。福岡の二年間で、当時の内先生(ナショナルチーム全盛期)率いる福岡教育大学の稽古にも参加させて頂きましたが、蹴られて、叩かれて帰りました。内先生に出会っていなければ、多分その先続ける事もなかったのではないかと思います。辛い学生生活も、二年が過ぎ、湘南校舎へ行くと世界が違いました。前田監督(ナショナルチームコーチ、世界チャンピオン)率いる東海大学体育会空手道部。同期には、国体チャンピオンの田中、関東チャンピオンの石山、東京都チャンピオンの平塚、下には高校チャンピオンの駒木、九州大会準優勝の浜崎、関東有名校の佐藤、関西から田代、他にもたくさんいますが、先輩はたった一人、国体チャンピオンの杉浦先輩でした。福岡で多少頑張ったくらいでは何ともならない世界でした。3年生からのスタートでしたが、皆が良くしてくれました。ですが、稽古は弱肉強食。強い者が讃えられる世界。ひと月で辞めようと思いました。後輩から「Qちゃん」とあだ名を付けられ親しまれましたが、お化けのQちゃんみたいに毎日、唇を腫らしていたからでした。突きを毎日、口で受けたからです。唇の形が変わり、色っぽくなったのもこの頃からです。杉浦先輩に「辞めたいです」と言いに行きました。先輩は笑いながら、「同じ人間なんだから、大丈夫、お前にも出来る。」と言われてその気になって続けました。同期の田中には、感謝しています。毎日、稽古が終わった後、居残り稽古を続けました。田中が技の解説やタイミング、重要な事を身を持って教えてくれました。本当にただの稽古台だったら許しませんけど、楽しかったし、痛かった、何より強くなっていく自分が嬉しかったのを覚えています。良かれと思い、合宿中に練馬の大会に出たりもしました。その事で、全日本学生選手権団体戦の出場を不意にしてしまった事も、今続けている原動力の一つだと思います。前田監督に呼ばれ、筋が違うと窘められ、実力重視の団体選手の選出に出る事さえダメと言われました。卒業し、モヤモヤの中で東京都の大会に出場しました。都の強化選手選考会に、コーチとして前田監督がいた事で、強化選手になろうと思ったのも、大学時代に出来なかった事を、前田監督に見て貰いたいと思ったからでした。お蔭で、山形国体、東四国国体に東京都から選出されるくらい頑張れました。卒業して、2年間社会人として頑張った結果でした。卒業してから、世界チャンピオンになってみたいと思うようになり、ナショナルチームの選考会までは出られるようになりましたが、1回出ただけで、選出はなりませんでした。高い壁は、相当に高く、実力があって運まで備わっていないと、中々上るには険しい道だと思い知らされました。でも、考えてみれば普通の男が、稽古をしっかりやれば強くなれると言う事も体感できた訳で、現在、教えている子達にもチャンスは必ずあると伝えられます。世界チャンピオンを目指して、しっかり稽古すれば、何かしらチャンスは訪れると思っています。その後、福岡に帰郷して空手道の稽古を伝承する方になる訳ですが、選手としての夢を無くしたくないと、30に成る頃に思い立ちました。その頃は、県大会くらいしか、戦えるところも無く、出れば学生と死闘するしかありません。まだまだ、いけると思ったのは、35歳が最後でした。それを機に、試合はやめようと思っていましたが、子供達の手前辞める訳にも行かず続けました。6年前に日本マスターズに出会い変わりました。現役をやめる必要はない、同じような思いを持つ人たちとの出会い、繋がる思い、今続ける原動力の中でも一番の強い力です。まだ、優勝する事は出来ません。準決勝で必ず遠山先輩にやられます。荒川先輩にも二度やられました。大阪の村田先輩にも。青森の藤井さんにも地元でやられました。みんな強い思いを持って、稽古を続けている方々です。若い頃にもっとこんな風に稽古出来れば、世界チャンピオンに成れたのかな?と思うくらいに頑張っています。勝つ負けるは、時の運、稽古はして当たり前という思いが今の私にはあります。今年は、公認五段の昇段試験が今月決まっています。西日本実業団にも加盟させて頂きます。やる事は山のようにありますが、ひとつひとつやりあげて、いつものように明るく元気な自分で居られるように日々精進致します。今後とも宜しくお願い致します。


駆除屋へのお問い合わせはこちら

駆除屋はゴキブリ駆除やシロアリ駆除、ネズミ・イタチ駆除、その他の害虫駆除(ハチ・ムカデ等)・害鳥駆除(ハト・ カラス等)などのお仕事を承っております。

0940-72-4513

お問い合わせフォーム