こんにちわ。宗武館を主宰させて頂いております、向井 慎矢と申します。お正月に奈良へ行ったお話は、どこかで書いたと思いますが、奈良で撮った写真を掲載しながら、いろいろな思いをブログに綴って行きたいと思います。私は20歳の時、本当に空手道と向き合うことになったお話もしましたが、今の空手道とどう付き合っているかをお話ししていこうと思います。私たちの時代は1968、1969年生まれの強い選手が多かった時代でした。高校の部活動はバレー部で、引退してから空手道を始めさせられた者にとって、学連の空手は刺激的でした。と、言うよりも怖かった。今を時めく帝京大学もその頃は非常に強面の面々がメンバーでおり、関西よりも関東の方が強いという時代でした。全日本学生選手権では日大の椎名選手が優勝してました。団体戦も日大だったと思います。拓大が大きな問題を起こした後の入学だったので、封建的な部からファミリー化していった時代であったと思います。拓大の9連覇から日大時代の幕開けだったと記憶しています。そしてその頃から本気で始めた空手道。強くなりたくても一生懸命稽古してもなかなか勝てませんでした。大学の空手道部を卒業してもその思いは潰えず、社会人一年生の時も会社は5時までしっかり働き、その後は空手道の稽古をしていました。東京都練馬区に籍を置き、国際玄制流武徳会に入会して、日夜稽古に励みました。ちょっと噓をつきました。大学が1年残っていたので、半社会人が1年間ありました。大学生でしたが、空手道部のOBとして稽古し、道場にも行って稽古し、練馬で仲の良かった横瀬先生の所へ出稽古させて頂き、そこに勉強に来ていた長谷川伸一先輩ともかなりの稽古をつけて頂きました。大学時代あれだけ怖かった空手道も、一般社会に出てやり続けると楽しくなってきました。何というか、少しお金にも余裕があり、仕事もして安定感もあり、東京でも勝てるようになっていきました。3年掛かって東京都大会の本選に出れるようになりました。その年の本選は3回戦まで勝ち上がらないと本選には出れず、本選でも8戦勝たないと優勝出来ないという大会でした。一般男子軽量級 680名の参加でした。本選に勝ち上がったその年に、東京都の強化選手になり、本選で3位なり、国体にも選出されてかなりいい成績が上げられたと思います。何で勝てたか。これが空手道を教えてみようと思ったきっかけですが、基本を忠実に体に浸み込ませ、自分で自分を分かるようになれば、勝てるようになるからでした。試合は相手との駆け引きなどもありますが、大きな勝つ要因は、自分を知ると言う事でした。心の問題も、体の問題も、技の状態も自分で分かれば勝つ事に近づく、そういった事があの頃少し分かったので、普通の男が必死になってやれば結構強くなれると思いました。もちろん、ルールの熟知やその他の要因もたくさんあると思いますが、自分を分からないとどうしようもないと言う事が、あの頃一生懸命稽古する事で身をもって理解出来ました。最近は自分で試合に出る事も少なくなってきたので、ルールや相手との間合いにも変化が出てきたのでいろいろと考える事も多くなってきましたが、長女が高松中央高校に行った事で、現在の空手道の試合の勝ち方も、少し理解出来るようになってきました。(続く)