空手道の稽古について書きたいと思います。道が付いているので、やはり日々の生活の中で大切なものだという観点があります。競技にしろ健康志向にしろ自己研鑽である事は間違いではありません。どちらかに寄ってもこれも問題はありません。競技の最終地点はどこなのか?あまり考えていないと言うのが現状ですが、どこかで諦めてしまえばそこが終了の地点だと考えています。競技にも健康にも終わりはないはずなのですが、終わりがあるとするならば、死と言う事でしか終わらないと思います。そしてその終わりの時、後進の人たちが続けてく事で志は残り、技は発展し、継承され道は続いていきます。道着を着て、汗を流し、健康を勝ち取り、技を磨き、精神力を鍛え、礼節を学び、生きる事の大切さを学び、有利に生きる事が出来るのなら、こんなに素晴らしい事は無いと思っています。基本的には空手道は人を殺める為に作った技を自己研鑽の術として学び体得する事だと思っています。その過程において礼節を学び体躯を鍛え内なる力をコントロールして生かせるようにする。私の中ではそれが本当の稽古だと思っています。ただ、自己研鑽の為の稽古であれ、健康の為でも行う事はほとんど同じだと考えています。一生懸命稽古していれば、強くなってしまうし、体も鍛えられ、環境に入ってしまえば、礼節も学ばされてしまう。それが道場だと思っています。コロナ禍で集まる事が許されない時でも、拳を握り突き出せばそれも稽古。足を上げ蹴ってみる。これも稽古です。日々の稽古のお陰で体は鍛えられ、体に技が浸み込んでいくと考えています。道場はそういった事を大切にして、集まる人たちを鼓舞し、叱咤激励の中で気持ちの良い汗をかき、試合や昇級、昇段審査、演武、などで認められたり、勝負の世界で緊張感を楽しんだり出来るのがとても気に入っています。
まだまだ続いていく空手道ですが、私の中では生きる指標にもなっているので、感謝しかないです。空手道命です。ありがとうございます。
写真は懐かしいモノです。