空手道の修業について、私の主観をお話します。
空手道の修業とは、競技空手ではなく、一般社会においてどれだけの事で適用し、どのように生きているかを示す上で大切な指標になると考えています。なぜ、修業を続けるのか。これは人それぞれになりますが、私は空手道の修業を通じて、様々な事を学びました。そして今も学び続けています。人として生きると言う事は、犬や猫のように飼われて生活する事ではなく、能動的に望んで地に足を付け身の回りを整えながら生き抜く事だと思っています。いろいろな事を感じながら生きるのですが、稽古をする時、稽古をするぞと意気込んで、手足を使って技を磨きます。仕事でも何でも、基本を忠実に守りながら時には応用して取り組みます。そして結果を導き出し、満足したり、足らない部分を増強しながら道を進んでいきます。この事をする縮図が稽古だと感じるのです。
空手道は、言うなれば殺人技を身につける事。武道とは決死の覚悟で進む道です。いつ何時誰から襲われるかも知れないと自分自身の技を磨く事が修業だと思います。だから、稽古を一生懸命にやり、日々の生活の中にいろいろな事を考えながら生きて行けると考えるのです。とは言っても現代社会では忘れ去られようとしているそう言った技をこれから私の道場では大切に教えて行きたいと思います。試合には勝ちたいけれど、勝つ為には稽古が必要だし、勝つ為だけに稽古をしていると試合だけが大切になり、大事なものを見落としていきます。そうではない空手道を私は希求して生きたいと思います。そういった事が本当の空手道だと思っています。