宗武館を始めて今年で25周年を迎えます。始める時も、何となく始めましたがそのまま何となく続けてきた事が25年も経過してしまったと思っています。現在は道場も稽古が出来なくなっています。Covid-19のお蔭で施設も使えず、緊急事態宣言も出て戦争さながらの毎日を過ごしているからです。戦争と言っても敵が見える訳では無く、ウィルスにおびえる毎日が本当の敵だと言う事が分ってきました。仕事をする事もままならない方々も居られるし、毎日が見通せない日々の連続で出口が無い事も、苦しい現実を後押ししているようです。こういった時代だからこそ、空手道をしてきた仲間達が社会の中で力を発揮し、力強く生きて欲しいと思う毎日です。
私が思うに、空手道とは平和な日常で作られていた武術、武道ではありません。こんな時に一番大事なメンタルを育ててきたのではないかと思います。日常では考えられない人を突く(殴る)蹴る事を日々稽古し、試合となればより一層の稽古を積んで臨みます。日々の稽古では、少しでも早く、より強くと励みます。先生方ももちろん昔から続けている方々なので、否応なしに鍛え続けます。そう言った日々を続けてきた人が鬱になったり、嫌になったから死んでしまおうとするはずが有りません。私の私観なので間違っているかもしれませんが、日常的に先輩の目を気にして、稽古では誰よりも強くなる事を望み、いつも強くなる事を考え、実践していました。そう言った空手道を続けてきた中で、私はこう考えます。失敗は無いと言う事です。諦めないから失敗しないし、続けるから失敗じゃなくなるからです。仕事においても私はこういったように考えるので、お客さまからお叱りを受けたり、間違いを指摘されたりしますが、諦めません。仕事を放り出したりもしません。諦めないで続けて行く事を考えています。空手道を続けてきたから諦めない心を学んできたと思っています。この事よりも大切だと思う事も有ります。空手道を好き好んでいるかどうかです。好きであれば楽しんで続ける事が出来ます。私の空手道は、女子供でも大の男と対等に渡り合える技の習得と言う事を主眼に置いています。基本に忠実に、自分の体と使い方を身体に染み込ませる。その事を始めていく為に楽しむ事を伝えます。子ども達には楽しんでやろうと言う事は大変な事です。楽しむって何かも分らない事が多いです。私は始めに必ず伝える言葉として、「怖くないからね!」と言います。50過ぎた髭面のおっさんから凄んで言います。それも少し大きな声で。大抵の子ども達はここで逃げて行きます。仕方がありません。その事に向かって行ける子どもしか、稽古には来れないからです。工夫はしますが、空手道はやはり修行の道。小さくても大人になっていても、自分の身体との対話を続けるしかありません。分るまで時間は掛かりますが、やっていると幸せです。自分の体が技を覚えて、上手く動かせるようになった時、幸せです。大きな気合いと技が合わさった時、満足します。子ども達に教られる事は少ないけれど、自分の体で体現する事を伝えて分って貰えた時、楽しいです。一人一人、自分の感覚で空手道と一緒に歩いて行けるならば、それは素敵な事です。この素敵な体験をいつまでも続けて行きたいと考えています。
残りの人生どのくらいか分らないけれど、自分と向き合い、空手道を進み、道場の子ども達と同じ夢を見ながら死ぬまで続けて行こうと思います。これからの人生でやりたいと言う事はそんなに沢山ある訳ではないけれど、自分の事が必要な人に巡り合って、その方々が空手道と言う道が出会えてよかったと続けてくれる事が最大の喜びになると考えています。これからも一生懸命日々稽古して真直ぐに生きて行けたらと思います。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。