私の家では、空手道を推奨しています。まともな人間に成れたのは一重に空手道のお陰だと言えるからです。一人の人間としてはまだまだ足りない部分はあるかと思いますが、現在、55歳になり、子ども達も写真の頃からは考えられないくらい大きく育ちました。小さな男の子は、中学二年生になり、体も大きく空手道の選手としては、少し物足りませんが、人間としては大きくなりつつあります。私は空手道が中心に有ります。中途半端な修業では辿り着けない所に行こうとしています。日々の稽古は勿論ですが、空手道を中心に据えてもそれを仕事の中心には据えず、仕事で食べて行きながら、修業をすると言う事に重きを置いています。言うならば、空手道で修業をして、社会で勉強しながら生きる道を選びました。修業と言う事は、何かを極めて行く事だと思いますが、そう言った観点からすると、空手道は修行で仕事は修業ではないかと考える事も出来るのではないかと感じています。
稽古を週に5日する事にしています。武道場を借り、多目的室を借り子ども達や空手愛好家の方々と稽古します。体操はいつも一生懸命します。一番の稽古は、いつもの体操。どこが動きにくいとか、体の調子を感じる事は大切だと思っているからです。それが終わって基本稽古。少し見せる為に動きますが、余り沢山はやりません。生徒さんにはたくさんやらせますが、自分は見る事の方が多いです。自分の稽古より、子ども達の方が大切だから。そして移動基本。これも少し見せますが少しだけ。稽古を楽しんでいるか、一生懸命に出来ているか、そしてさぼっている人はいないか、そう言った事を見ています。教えると言っても少しだけ早く空手道に接し、選手として一生懸命に打ち込んだ日々、これを習得した事で伝える事が出来ます。その後は、形や組手の稽古です。
空手道の成長を見る為に、昇級審査や大会参加などが有ります。少しでも稽古をすれば上達するし、稽古で我慢や苦しい時の超え方を覚えます。大人になって社会に出て、そんな日常の中にもある我慢や苦しさの後にある楽しさを感じる人になって欲しいからです。私も苦しい稽古だったり、狙った結果の出た時の喜びは忘れませんし、忘れたくない。そんな日常にも空手道のように身体を使い、拳で殴ったり、足で蹴ったりする非日常を持ち込む事でストレス発散や気持ちの持ちようで変わる自分を鍛えて欲しいと思います。私の考える空手道は、厳しくて楽しい道だと言う事です。何が大切なのかはいろいろと理由は付けられますが、最後は自分がどのように変わっていくのか、道の中で成長して行く事を考えるようにしています。