いろいろ考えましたが、夏が始まりました。
コロナ禍で変容する社会、ソーシャルディスタンス、暮らしの中でのウィルス、対人の話し方。
変わりながら気付く事ですが、今までが大らか過ぎたのか、気にしなくても良かったのか。
考えれば考える程、分らなくなってきました。毎年、日本ではインフルエンザで亡くなる方々が3000人いるそうです。知りませんでした。
しかしコロナでは今現在、日本で1000人弱の死者。諸外国のデータをテレビで放映しますが、これも対岸の火事。どうなっているのかテレビでは分りません。
偏向的な情報操作をされていると言う事も原因の一つに有り、電通の話などは、昔からテレビ媒体の中で暗躍する広告代理店だと知っていました。
火事場泥棒と呼ばれる方々も一層増え、日本の将来を憂いています。ほとんどが事実です。どうにかしたいけれどどうにもなっていないのが今の現状です。
ここから先は、選挙に参加し(今までも行っていましたが)より日本という国を愛して、光が差すようにしたいと思っています。
本来、空手道は沖縄で生まれた身を守る術でした。身体が危険な凶器となり相手を倒す事が出来る技を身に付けます。
開発された体の使い方や、技には個人の運動能力や身長体重は余り関係性が無く、それが故、私は女子供でも大の男が倒せる技を探求すると言う事で空手道を伝承してきました。
ただ、全日本空手道連盟が発足し、長い年月を掛けオリンピックに参加出来るような競技になったのも事実です。
そこには、破壊力を持ちつつコントロールをする事が義務付けられ、安全な競技として認められる事が必要でした。
倒せば勝つと言う事では無く、ポイントを稼いでそのポイントで優劣を付けると言う競技に昇華して行きました。
世界で一番のはずが、日本人が中々勝てていないのも当たり前のような気がします。
体力やパワーで大きな外人に勝つのは難しいと思うし、競技としてのKARATEは運動能力が備わっていなければ勝てないと思うからです。
先にも出ましたが、オリンピックに出るような選手は、トップのアスリートしか成れる筈がないと考えるからです。
現在、コロナ禍の中で、人間性の事だとか人としての考え方だったり、有事に何として行くか。
考える事で空手道の稽古は、こうやって行くべきだと言う形が見えては来ません。
従来の形で行くのか、いろいろな施策をするのか考える事は多岐に渡り難しい判断はありますが、私の目指す空手道は、基本の稽古が出来て初めて身体との対話が始まると考えていて、黒帯を締めるようになって始まる精神修養と身体操作などが加わり、人間が成長し続ける道があると信じています。