前回のお話上、自分が分かれば勝ちに近づくと言う事は分かってきたのですが、最近の試合はどうやって勝つかを学ぶ事が大切な事だと感じています。もちろん、勝つ為には稽古をしないと勝つはずがありません。勝つと言う事は、相手よりも強い(この場合、体や気持ち)事が条件のように感じますが、実はそういった事ではなく、よりポイントを多く取った者が勝つのです。ポイントを取ると言う事を優先して試合に臨む。試合はそれまで行った稽古と同じく鍛えなければならない事が多く、その事は宗武館では嫌というほど聞かされ、子どもであろうと、大人であろうと宗武館で稽古すればするほど試合で勝つ事に近づきます。強さの秘密とか必勝法とかいろいろな伝授がなされている道場の先生方にもよく聞きますが、当然といえば当然で、その事が無ければ道場である必要もなく、空手道で無くても良いという事になります。空手道の道場を主宰する事になってから、この事はしっかり皆さんにお伝えしております。
さて、これからの宗武館は娘たちが高松中央高校でお世話になって、長女は今年、京都産業大学に進学しました。高松は宗像から6時間掛けて車で行くことが多く、長女が試合の時は、北九州で道場を主宰されている北代先生と行く事が多くありました。次女、三女も現在、入寮し稽古を沢山しています。見に行く事は減りましたが、試合に絡めて長く行き、長男の稽古も一緒にする事もあります。大事な事は、しっかりと見てあげる事。間違いを正し体に合った技やタイミングを見つけてあげる事。そして一番大切な事は、理解を促すこと。これは親子でも難しい事で、この部分に関して言えば、まだまだこれから自分自身で作り上げなければならない部分だと思います。空手道の修業が長い先生方は、自分の経験が活き、子ども達に教える事は可能ですが、例えばよく見ている親御さんが子ども達に教えていこうとするのは、試合で勝つ為だとしても、教育上、決していい事ではありません。子ども達は見ています。先生の動き、目、言葉、言動。これが親御さんに備わっている訳ではありません。稽古時に先生の話を聞かない、先生と呼べない、先生に聞けない、こういった子も居ますが、気が付けば居なくなっています。空手道が合わない、親御さんが見ていない事が多いと言うのが私の見解ですが、他の先生方に聞いても、親御さんの存在というのが大きく関与していることは否めない事実なのです。この部分は親御さん方が見ると気に入らない事かもしれませんが、生きて行く為に必要な順序は、1家庭、2仕事なのです。家で学校で言うこと聞かないから、空手道を習わせると言う親御さんもおられますが、本来、習い事はお願いして習わせる事なので、家でも言う事を聞かせて、空手道がやりたいと言う子を連れてきて欲しいです。ただ、出会いは突然訪れると私は思っていますので、きちんとお伝えしたうえで始めて頂いております。とは言うものの私としては、空手道が好きと言えるようになって貰いたいし、稽古も一生懸命して身体も心も強くなって欲しい。ここで空手道に触れて良かったと思って貰えれば一番の喜びになります。日常でいろいろな事が起き、ストレスを感じ生きる。空手道の稽古は、非日常で殴る、蹴るの技を磨く。時として戦うための形を披露したり、組手で戦うこともある。日常では起こり得ない事を作り出して稽古をする。ここで磨かれた技や自分に向かって何度も何度も言い聞かせ身に付けて鍛えた心、恥ずかしい自分と上手くなった自分を見比べてみたり、向上心が芽生えた子ども達を見ていると、何とも言えないうれしい思いが噴出します。私が教えられる事は、ほんの少し長い間、空手道の修業をしていた自分の経験を玄制流武徳会という流派のやり方に合わせて伝承していくだけです。この事がこれから出会う道場生の皆さんに伝わっていけばいいと感じる今日この頃です。
写真は、仮面ライダーです。本文とは何の関係もありません。奈良の写真をいろいろ貼り付けると言っていましたが、なかなか良く取れてはいるのですが、コロナ禍の為、割愛しました。